『氷雪の門』の創業は昭和39年。その少し前のお話です。
創業者・新道喜久治は、昭和32年にススキノで『うなぎのかど屋』を創業していました。
しかし、うなぎ屋は冬がヒマ。何とか冬に集客できる素材はないかと会う人ごとに尋ねていました。

ある日、漁師をしていた義兄にその話をしたところ「漁師が浜で食べているたらば蟹を食べたことがあるか? 旨いぞ!! "生"のたらば蟹を炭焼きや鍋にしたらあんな旨いものはない!」というのです。
「これは良いかもしれない!」
そう閃いた喜久治は、さっそく列車に飛び乗って道東へ向かいました。

ところが、釧路・根室さらに道北の稚内と、産地のどこを探してもたらば蟹はまったく見当たりません。飲食店はもとより、市場を歩き回っても見つかりませんでした。
聞くと、獲れたたらば蟹は一般の市場には出ず、すべて缶詰になって輸出されているというのです。

たらば蟹は戦後、貴重な外貨獲得商品として、缶詰で外国へ輸出する為に政府の管理統制下にありました。そのため昭和30年代でも、ほぼ全量が缶詰にする為に獲られて輸出されていたのです。

高価な「カニ缶」は日本人の口に入ることも稀だったそうですが、それ以前も「鱈場蟹」の名が示すとおり、主力だった鱈を獲る網にひっかかっる邪魔者扱い。つまり当時、たらば蟹は、流通もしていないし知る人さえ少なかったのです。